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取りあえず、考えていることなど [ひとりごと]

日常生活での処理能力があまり高くない私は、忙しさの峠を越えても、その間にたまった用事など、日々の暮らしに追われています。きちんと記事をまとめる余力がないので、取りあえず、いま考えていることなど、少し書いてみます。

頭のなかは、あいかわらず教育と憲法が最大の関心領域で、ぐるぐると回っています。教育・・・一般論を学ぶとともに、具体的にわが子の学校や学び方の選択。憲法・・・名古屋高裁のイラク判決をどう判断するか、自分が地域でできる活動に向けての準備。

・イラク違憲判決はまだ判決文を読み込んでおらず、私が直前に書いた記事以上の判断は保留中です。しかし直感的に強く感じるのは、裁判長はボールを投げてくれたということです。「憲法判断は抑制的にしか行わない」ということが日本の司法の常識らしいのですが、これは政府がある程度きちんとした政治をしているという前提で成り立つことではないでしょうか。

小泉、安倍内閣以来、これだけきわどい法律が続くと、司法が憲法判断に踏み込んでくれないと、国民生活はたいへんなことになると思います。その点、今回の判決はこれまでの常識からすれば一歩外に出たかもしれない、逆に差し止めや自衛隊の違憲性を求める立場からすれば中途半端であるという感を抱く人もいると思います。

しかし、私は裁判官を含む裁判長が、司法のギリギリのところに出てきて、あえて国民に語りかけボールを投げてくれたように思います。「司法のできることは全部しました!あとは国民の一人ひとりが考えて日本を良い方向に向かわせてください」。そういうメッセージを感じます。今度は私たちの責任なのだ。身の引き締まる思いがします。

・今日は、昨年に引き続いて、小6と中3生を対象とした全国一斉学力テストです。ブログでも何回か取り上げましたが、私はこの学力テストには賛成はできません。競争と序列化の思想、同一基準での子どもの選別、さらにプライバシーに立ち入った多数の質問など、問題点が多すぎると考えています。

県教委の傍聴に行ったときにも、「全国と比べてどの問題の正答率が低いか」などの分析をしていましたが、差はほんのわずかで、誤答の傾向も全国とほぼ同じ。委員たちからの発言はほとんどなく、「各学校に学力向上策を策定させる」というあらかじめ決まった結論を再確認しただけでした。はっきり言って、何がどう役に立ったのかわかりませんでした。

次に引用させていただくような、教育の原点はどこにいったのでしょうか。
「子どもと教育を守る県民の会」という会報に掲載されていた山田稔さんという方の「ねらいは「国家戦略」としての「教育の構造改革」」という論文(PDCAサイクルなどにも触れられ、読み応えのあるものです)の最後尾にあった文章です。

*************************************
おわりに
  ━教師の最善の能力は、自由の空気の中でのみ、発揮される

戦後初期の文献から次の二つを引用して、締めくくりにかえます。

 これまでの教育では、その内容を中央できめると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって、教育の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。このようなことは、教育の実際にいろいろな不合理をもたらし、教育の生気をそぐようなことになった。・・・しかもそのようなやり方は、教育の現場で指導にあたり教師の立場を、機械的なものにしてしまって、自分の創意や工夫の力を失わせ、ために教育に生き生きとした動きを少なくするようなことになり、時には教師の考えを、あてがわれたことを型どおりに教えておけばよい、といった気持ちにおとしいれ、ほんとうに生きた指導をしようとする心持を失わせるようなこともあったのである(「学習指導要領 一般編」昭和22年度)

 教師の最善の能力は、自由な空気の中においてのみ十分に現される。この空気を作り出すのが行政官の仕事なのであって、その反対の空気をつくることではない。子どもの持つ測り知れない資質は、自由主義という日光の下においてのみ豊かな実を結ぶものである。この自由主義の光を与えることが教師の仕事なのであって、その反対のものを与えることではない。(1946年3月31日 アメリカ教育施設団報告書)


2008-04-22 10:54  nice!(3)  コメント(5)  トラックバック(4) 

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コメント 5

hm

 自由の中にあっての人の知恵や創意工夫こそが未来を作る希望だという基本的な価値観を持つ私としては、終戦直後の文章に、自分の思うあり方の原点に近いものを感じます。
 
 初めての学習指導要領の求める教師のあり方、それは、別の仕事をしていても、いつも、自分に問いたいことでもあります。

 日々の仕事を「あてがわれたことを型どおり」にこなすことで満足していないか、「自分の創意や工夫の力」を発揮しているか、そうしようと努めているか。
 自分に問うと、忙しさや何やらにかまけてそれが出来ていないことも多いなあ、と思いますが、それをなんとかやろうとすることに喜びを見出していくことが何かを創造する原動力だろうと思います。 

 憲法もそれ自体はただ文字が並んでいるに過ぎないのですが、それをどんな風に活かすのか、私たちの創意や工夫にかかっているんですね。
 しっかり食べてしっかり寝て、創意工夫ができるコンディションを整えたいです!
by hm (2008-04-22 12:58) 

ayu15

お休みしてないですねえ^_^


by ayu15 (2008-04-23 20:36) 

tamara

戦争直後の昭和22年度「学習指導要領(試案)」の序論を読むと、なんだか泣きたくなります。子ども達の未来を必死に考えた、あのひたむきで瑞々しい序論は、憲法と同じ精神で書かれていて、しかも憲法を補足する位の大きさを感じます。
60年を経てこんな風になってしまって・・。
もう一度原点にもどることはできないものかと、時々むなしく考えています。
by tamara (2008-04-24 20:49) 

shira

 お久しぶりです。
 ま、政治サイドが小うるさくあれこれ求めてきたところで、日本中の全教室の監視なんかできんのですよ。
 現場屋には、まだまだやれることはいっぱいあります。
by shira (2008-04-24 21:45) 

mai

>hmさん
私自身も日々の仕事や生活のなかで、何となく流れ作業的になっている場面も多いです。hmさんはとても創意工夫の活かせる立場におられますね。たくさんの人の光になってください。仕事で訪れるキリスト教系の学校で「世の光、地の塩」という言葉が書いてあり、いつも感心しています。心身のリフレッシュも忘れずに!

>ayu15さん
そうですねー(笑)。ブログ更新はしばらくお休みしましたが、子育てや仕事は待ってくれません。それに悩みの森のなかにいるので(こう見えても・・です)、頭のなかはなかなか休まりません。つい考えたり本やブログ読んだりしてしまうんですよね〜。

>tamaraさん
本当にがっくりときますよねえ。昭和22年度からいったい何があってこんな状態になったのか、tamaraさんは現場にいらっしゃったのでよくご存知だと思いますが、私は非常に謎でいま本を読んで調べているところです。「自由の森学園・その教育」遠藤豊氏著を読んでいます。筆者によると60年代から70年代にかけて、経済界の要求を軸として教育行政がそちらに大きくシフトしたことが大きいそうですが・・・。

>shiraさん
校長先生の復活、良かったです!現場からの力強い言葉。たいへん嬉しいです☆実践についての記事をいつも楽しみにしています。
by mai (2008-04-30 10:06) 

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